kazekozoo’s diary

昭和三十年代を中心に漫画やテレビ、映画を語ります。

『 風こぞうのアーカィヴー 』

今日は私の事を少々お話しします。

現在は私ひとりと一匹で暮らしていますが、私が社会へ出るまでは

両親と兄妹四人の六人家族で暮らしてました。

私は二十歳から三十三歳までの約13年間を川崎、埼玉県の川口市に在住してました。

川口は青木町、川口オートレース場の近くに下宿(出向先に寮がなかった)し、今だから言えますが、グレチャンというアルミサッシ枠のシール材を販売する営業部に所属していました。ほとんどガラスの特約店を繋ぐパイプ役のような役割で都内での活動が主でした。有名ホテルのディナーショーにて宝石等の高級品を飾るショーケースのレンタルなンかもやってました。搬入は夜、搬出は夜中に行うため昼間は待機という形で遊び惚けてました。特約店廻りたってガラスの職人さんたちと雑談するだけ、ノルマもなければ拘束もなく至って自由な仕事だったンです。客先へ直行と言っては、超高層ビル

立ち並ぶ新宿へ行ったり、夜は仲良くなった客先の営業部員と飲み歩いてました。

そんな絶頂期の昭和55年、出向先のプラスチック製造会社が倒産し、私は出向前の

会社に戻る事になりました。戻ったのはいいけれど職場がガラリと変わり、四直三交替を命じられました。散々、遊び惚けてたツケが一挙に廻って来たと思いました。

「冗談じゃない、やってられるか!!」って理由で退職しました。それでも「川口の生活忘れ難し」と営業の頃の部長に相談し、川口市の企業に再就職したのです。

しかし、甘い汁を吸ったからだと三年間は我慢しましたが、「も~う、サラリーマンはコリゴリだ」と昭和58年の4月に帰郷したのです。そして5月、防水防蝕工事会社で職人修行し、まだ修行途中の最中にオフクロの知り合いから見合い話を紹介されました。「私の娘なンだけど、一度会ってみないか」と言われ、「いゃあ~、まだまだ半人前以下なモンで・・・」と断ったのですが、どうしてもということで「会うだけですよ」

てなことで宇部新川の前の寿司屋でご対面しました。その時、彼女はバイクで来ていて上着の襟のボタンをパチっと外した"しぐさ"が、とても爽やかで可愛くて今も鮮烈な

印象として記憶してます。

話が長くなりました。

そうして昭和60年4月に長女が生まれ、一人っ子じゃ将来可哀そうだと63年5月に次女が誕生しました。

 

女房と長女、次女です。

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~お寺参りに行った時です~

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大阪の弟が来ていて、私の二人の妹の子どもたち、それにオフクロ、オヤジ、最初で最後の全員集合でした。

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                      私の二人の娘です👆~

~長女の成人式~

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~次女・・・隣は長女のダンナ、ちぃちゃい頃から、姉ちゃんと同じものを欲しがってました~

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現在はダンナの仕事の関係で長女は岩手県、次女は群馬に在住しています。

私には二人の孫姫がいますが、スカイプでしか会ってないのです。